カテゴリー
テーマごとに作品紹介

Jay-Z(ジェイ・ジー)の手法はビジネスや就活に応用できる

Jay-Z
Jay-Z

マイク1本で巨万の富を得るのは難しい。しかし、Jay-Z(ジェイ・ジー)はそれを成し遂げた。彼はヒップホップの歴史上で、もっとも成功したアーティストである。

彼はいったい、どうやって成功を勝ち取ったのだろうか。ただ単に歌詞を書いてそれをラップする百凡のMCたちとは根本的に違う。独自のやり方で、ヒップホップと向き合ってきた。そもそも他人と同じ方法で、あれほどの成功を手に入れることは出来ない。

彼は、自分を登場させた物語(ストーリー)をつくったのだ。自分の作品ではなく、自分自身をブランド化して成功したアーティストなのである。

高校時代のJay-Z(ジェイ・ジー)

ラッパーになる前は、麻薬の売人をやっていたらしい。ドラッグを売って生計を立てなければならないほど貧しい少年時代だったのかは知る由もない。ただ、生まれ育った環境に、「麻薬の売人」という選択肢がカジュアルに用意されていたようである。

同じ高校に通っていたThe Notorious B.I.G.(ザ・ノトーリアス・ビー・アイ・ジー)もまた、麻薬の売人をテーマにした作品がある。この曲では、麻薬の売人でうまくやっていくための「10か条」をラップしている。ヒップホップ以外で、そんなことを歌うアーティストはあまり聞いたことがない。

●Ten Crack Commandments / The Notorious B.I.G.
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=ZYb_8MM1tGQ[/youtube]

下積み時代のJay-Z(ジェイ・ジー)

麻薬を売って、それなりのに資産を築いたJay-Z(ジェイ・ジー)。それでもやはり、売人という家業はリスクが高いということで、ラップで稼ごうと考える。マイク1本でお金が入るのであれば、それにこしたことはないのだ。

まずは、Original Flavor(オリジナル・フレーバー)というグループの「取り巻き」として活動を開始。それなりの期間、活動を続けていた。しかし、デビューまでの道はなかなか遠かった。

Original Flavor(オリジナル・フレーバー)のセカンド・アルバム「Beyond Flavor (1993年)」に、客演参加することができたものの、たったの1曲(「Can I Get Open」)だけ。このころは、「いつになったらソロデビューできるんだ!」と燻(くすぶ)っていたことだろう。

●Can I Get Open [Feat. Jay-Z] / Original Flavor
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=_kcCcyPi-2A[/youtube]

そのころ、同級生のThe Notorious B.I.G.(ザ・ノトーリアス・ビー・アイ・ジー)は、映画サントラに、ソロ曲「Party & Bullshit」を提供していた。

●Party & Bullshit / BIG
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=8ojlh_nsxcE[/youtube]

さらに、The Notorious B.I.G.(ザ・ノトーリアス・ビー・アイ・ジー)は、翌年の1994年、バッドボーイ・エンターテイメントからメジャーデビュー・アルバム「Ready To Die」をリリースし、一躍スターダムに躍り出た。

参考作品

Ready to Die (W/Dvd) (Reis) Ready to Die (W/Dvd) (Reis)
(2007/01/16)
Notorious Big

商品詳細を見る

Jay-Z(ジェイ・ジー)は、いつデビューできるかもわからない所で、ちまちま活動している自分に焦燥感を覚えて、Jay-Z(ジェイ・ジー)は、Original Flavor(オリジナル・フレーバー)のもとを去った。

経営者となったJay-Z(ジェイ・ジー)

方向性を固めたJay-Z(ジェイ・ジー)は、いよいよ活動を開始する。大手ヒップホップ・レーベル、Def Jam(デフ・ジャム)の傘下に、自身のレーベル「Roc-A-Fella Records(ロッカフェラ・レコード)」を旗揚げした。

Damon Dash(デイモン・ダッシュ)、Kareem Burke(カリーム・バーク)、そしてJay-Z(ジェイ・ジー)。この3人が主軸となって、精力的にレーベルを運営していったのである。

そして1996年、Jay-Z(ジェイ・ジー)は満を持して、ファースト・アルバム「Reasonable Doubt」をリリース。150万枚ものセールスを上げた。

Reasonable Doubt Reasonable Doubt
(1999/01/26)
Jay-Z

商品詳細を見る

ヒップホップの歌詞というのは、その多くが自分を大きく見せようと、誇張する内容が多い。たとえば、やったこともないのに「(俺は)こんなことしてやったぜ!」とか、「(俺のことを)見くびるとヒドい目に遭うぜ!」などと平気で言うのだ。

虚構のワルによる架空の物語。それがハードコア・ヒップホップの実態であったはずなのだ。つまり、ヒップホップはエンターテイメントであったはずなのだ。

ところが、Jay-Z(ジェイ・ジー)はその物語を「実体験」として語ってしまった。Jay-Z(ジェイ・ジー)は、等身大の自分をラップで表現することで、生き様そのものが「ハード・コア」という見せ方をしたのである。

しかも、それを余裕たっぷりでラップするJay-Z(ジェイ・ジー)。「こいつは本物だ!」。リスナーは畏怖と尊敬の念を抱いたに違いない。

プロダクション(楽曲)にも力を入れている。当時からすでにトップ・プロデューサーの呼び声も高かった、Gang Starr(ギャング・スター)のDJ Premier(DJプレミア)や、古巣Original Flavor(オリジナル・フレーバー)のSki(スキー)などをプロデューサーに起用。「俺がやってるヒップホップが最新だ!」。そう言わんばかりに、とにかくトレンドを意識した楽曲制作を徹底したのであった。

また、フィメールMCのFoxy Brown(フォクシー・ブラウン)をお披露目。彼女は、往年の名曲「Seven Minutes Of Funk」のベースラインをサンプリングしたシングル「Ain’t No Nigga」にフィーチャーされて、話題となる。(エントリー「 【シングル】Ain’t No Nigga [Feat. Foxy Brown] / Jay-Z」参照)

●Ain’t No Nigga [Feat. Foxy Brown] / Jay-Z
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=ljdzX7a4_Xs[/youtube]

駆け上がったJay-Z(ジェイ・ジー)

1996年のファースト・アルバム以降、Jay-Z(ジェイ・ジー)は毎年のようにアルバムをリリースしていった。1997年のセカンド・アルバム「In My Lifetime Vol.1」も前作同様のセールスを上げたが、それも霞んでしまうほど、1998年のサード・アルバム「Vol.2… Hard Knock Life」はすごかった。

その売上枚数は、なんと500万枚超え。

ヒップホップが商業ビジネスたり得ることを証明した1枚となった。このアルバムの代表曲、「Hard Knock Life (Ghetto Anthem)」は、ミュージカル「Annie」の子供たちをサンプリングするという荒業を成し遂げる。

ヒップホップを一般の耳に馴染むように昇華させる工程をあみだした功績は非常に大きい。

●Hard Knock Life (Ghetto Anthem) / Jay-Z
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=zxtn6-XQupM[/youtube]

●「Hard Knock Life (Ghetto Anthem)」の元ネタ(ミュージカル「Annie」より)
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=-0bOH8ABpco[/youtube]

ヒップホップをメジャー市場に押し上げたビギー(The Notorious B.I.G.)のアルバム「Ready To Die」にヒントを得て、商業的に成功するための要素を付与しつつ、従来のファンを裏切らないハードコアな要素も取り入れるという、Jay-Z(ジェイ・ジー)の神懸かり的なバランス感覚。それが冴えまくった完成形がサード・アルバム「Vol.2… Hard Knock Life」なのである。

Vol 2: Hard Knock Life Vol 2: Hard Knock Life
(1998/09/29)
Jay-Z

商品詳細を見る

ヒップホップのメジャーシーンの中心にいたJay-Z(ジェイ・ジー)

ヒップホップは、1990年代中盤頃から急速にメジャー化していった。その流れの中心にいたのが、Jay-Z(ジェイ・ジー)である。

Jay-Z(ジェイ・ジー)は、最先端のトレンドを示すアイコンであり、最新のヒップホップを知りたければ、Jay-Z(ジェイ・ジー)の新譜をチェックしておけばいい。

1999年にリリースした4作目「Life & Times Of S. Carter …Volume 3」は、Swizz Beatz(スゥイズ・ビーツ)、Timbaland(ティンバランド)、DJ Premier(DJプレミア)、Rockwilder(ロックワイルダー)など、「旬」のプロデューサーを起用した。

Volume 3: The Life & Times of S Carter Volume 3: The Life & Times of S Carter
(1999/12/28)
Jay-Z

商品詳細を見る

前作の代表曲、「Hard Knock Life (Ghetto Anthem)」路線の「Anything」もしっかりと継続している。

●Anything / Jay-Z
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=odThhIA2gUM[/youtube]

2000年の5作目「The Dynasty: Roc La Familia」は、アルバム・タイトルの通り、Roc-A-Fella(ロッカフェラ)ファミリーがフィーチャーされた作品。

The Dynasty: Roc La Familia 2000 The Dynasty: Roc La Familia 2000
(2000/10/26)
Jay-Z

商品詳細を見る

Beanie Sigel(ビーニー・シーゲル)とMemphis Bleek(メンフィス・ブリーク)の楽曲参加率が異常に高い。Roc-A-Fella(ロッカフェラ)という世界を形成し、低コストで新人のプロモーションを済ませ、自分をトップに据えることで、しっかりと自分のブランディングもこなすという荒技は実に合理的だ。

Just Blaze(ジャスト・ブレイズ)、Rick Rock(リック・ロック)、The Neptunes(ザ・ネプチューンズ)、Kanye West(カニエ・ウェスト)、Rockwilder(ロックワイルダー)といった、Roc-A-Fella(ロッカフェラ)周辺の手厚いプロデューサー陣が、王国のブランディングをさらに盤石なものにしている。

●I Just Wanna U (Give It 2 Me) / Jay-Z
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=nG8o_9RliwU[/youtube]

この曲は、アメリカのR&Bチャートで1位を記録した、The Neptunes(ザ・ネプチューンズ)プロデュースのヒット曲。コーラス部分は、The Neptunes(ザ・ネプチューンズ)のPharrell Williams(ファレル・ウィリアムズ)が担当している。

ビジネスを教えてくれるJay-Z(ジェイ・ジー)

こうしてJay-Z(ジェイ・ジー)は、ヒップホップの世界にRoc-A-Fella(ロッカフェラ)という国を設立し、自分が王になることで、ヒップホップ世界に君臨する一人の特別なアーティストとして認知されたのであった。

自己ブランディングを活かした彼のビジネス手法は、ヒップホップでメシを食うことを可能にした。一見ネガティブなドラッグ・ディーラーの経験を経てビジネスを学び、その過去をうまく利用して、自己をブランディングする。そして、それらを可能にしたヒップホップ。すべてがかみ合った好例である。

自分の経験を有効利用して未来につなげる、という考え方は、ビジネスやシューカツ(就職活動)にも役に立つのではないだろうか。有効利用できる経験がなければ、経験すればいいのだ。

どこで役に立つのかわからないムダな経験でも、「やったことないけど、やりたいこと」には積極的にチャレンジする。この意識が、有効利用できる経験をストックし、結果的に明るい未来をつくるのである。

Jay-Z(ジェイ・ジー)のアルバム・リスト(1~5)

1996年 Reasonable Doubt
1997年 In My Lifetime Vol.1
1998年 Vol.2… Hard Knock Life
1999年 Life & Times Of S. Carter …Volume 3
2000年 The Dynasty: Roc La Familia

蛇足

Jay-Z(ジェイ・ジー)は、2000年の5作目「The Dynasty: Roc La Familia」のあと、孤高の天才リリシストNasとのバトルに入っていく。彼にとっては、これも自己ブランディングであり、物語の一部なのだろうか。

参照:「【beef】Nas(ナス)とJay-Z(ジェイ・ジー)のビーフのまとめ

アーティスト・リンク