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書評

ダースレイダーの自伝『ダースレイダー自伝NO拘束』を読んで得たこと

もし自分が余命宣告を受けて、終わりのない体調不良に苦しんでいたら、正常な精神を保っていられるだろうか?

ダースレイダーの自伝本『ダースレイダー自伝NO拘束』を読んで、死生観について考えさせられた。イラストも多く、200ページ程度だったので、かなり読みやすい。

この本から得られたこと。それは、ダースレイダーの病気への向き合い方である。自分が同じように、なにか重い病気に苦しんだとき、助けになる考え方がたくさん詰まっている。

とつぜんの脳梗塞によって病人となり、過酷な闘病生活を送ることになったダースレイダー。脳以外にも、糖尿病や、それに伴う視力低下など、体の不調が同時併発。吐き気は3週間も続いたという。

過酷な状況で長時間、病気と闘っていたことだろう。そこから苦境をのりこえて退院。仕事復帰も果たしている。

ここまで回復するまでに至った彼の精神力には感服せざるを得ない。それ以外に「楽観力」というか、ものごとを深刻にとらえ過ぎない能力もまた、回復に一役買っているのだと感じた。

目を背けたくなるような現状から逃げない。素直に認める。明日が今日よりすこしでも良い日になるように生きる。そんなダースレイダーの前向きな姿勢に心を打たれた。

「自分の意思ではじめたことは、必ずやり通せ」。これを幼少の頃から母から叩き込まれたという。問題の核心をずらして逃げることは許されない。自分でコミットしたのだから、全力で頑張るのは当たり前のこと。確かにそうだ。

この精神は共感できる。誰にも責任転嫁せず、自分の行動はすべて自分で責任を負う。それこそが自由だ。

生まれて死ぬまで自分の人生。まだまだ長い人生があると思い込んでいるのは自分だけ。そんなのは単なる願望に過ぎない。人は、いつどうなるかわからない。明日が来るとは限らないのだ。

明日死ぬなら、お金なんかいらない。わざわざ、やりたくないことに時間を使いたくもない。優先事項を先延ばしにして、どうでもいいことに時間を使えるのは、この先もしばらく人生が続くと信じているからだ。

両親を病気で亡くしたダースレイダーにとって、死は遠い未来のものではなく、身近に認識しているように感じる。だからこそ、無意味なことに時間を使わず、つねに悔いのない活動をしているのだろう。

脳外科医でもあったフランクルが有名な『夜と霧』の中で、強制収容所での生活を語っている。多くの人は「人生に意味はあるのか?」と問うが、それは間違いだ。全く逆であって、人は常に人生の方から「意味」を問われているのだ。その瞬間、瞬間、その人にとっての具体的な問いを投げかけられる。それに答えるのが生きるということだ。彼のメッセージがようやく僕の中でも肉体化した。

p74

「人生の方から意味を問われている」という発想はなかった。おもしろい。でも言われてみれば、宿命なんて信じていないし、意味は自分で決めなきゃ意味がないなんて、当然のことだ。

「生きてる意味がない」なんていうのは、「生きる意味」を考えるのをサボっている奴が出す答えである。意味がなかったら、意味を作ればいいし、名前がなかったら名前を付ければいい。

ヒップホップという文化において大事なのは、どこから来てどこにいて、どこに行くのか? ということ。自分が何者なのか? を常に考えること。自分の居場所、自分の仲間、自分の世界の繋がりを意識する。ヒップホップにおけるラッパーはそれを声にする役割だ。

p136

本来、ヒップホップには「文化」とか「ムーブメント(運動)」という意味合いがある。「音楽」は表現手法のひとつに過ぎない。

ビートに乗せてリズミカルに言葉を発すれば、確かにそれはラップだ。でもその言葉の中に、自分と世界をつなぐ物語を伝える意図が含まれていないものは、ヒップホップではない。

商業音楽、エンターテイメントとしてのラップは、ヒップホップとイコールではない。「ラッパー」とか「リリシスト」を名乗るのであれば、その辺を理解しておかないと恥をかく。

僕は入院して、結果としてはわずかな時間しかいなかった。でも自分の人生においてもっともハードな体験をし、もっとも多くを学び、考えたのは病院にいた期間だと思う。だから、僕はヒップホップ・マインドに基づいて自分の状況をパラフレーズした。病院は僕の「フッド」、患者さんたちは地元の仲間つまり「ホーミー」。そして、「病人」を人種的な意味において僕が代表、つまり「レペゼン」する。実際、病人には良くも悪くも差別は付きまとう。心配されるのと微妙な匙加減で迷惑がられたりもする。日本の場合特に風習として病気を恥じ、悪いことだと感じて隠す人も多い。僕はおおいに病気を公言し、病人の声になろうと決意した。

p136

幼少の頃から住処を転々としてきたダースレイダーにとって、レペゼンする「地元」がなかったことは、彼のコンプレックスだったのかもしれない。

だがそれは、「変化に対する耐性」を獲得していたとも言える。この耐性があったからこそ、めまぐるしく変わる病状に対して楽観的になれたり、病気を前向きにとらえるなど、病気と向き合ううえで有利に働いたのだと思う。

ラッパーとして活動することを選択し、東大を中退できたのも、変化に対する耐性あってのものだろう。

目次『ダースレイダー自伝NO拘束』

  • 序章 5 years
  • 第1章 世界が回った日
  • 第2章 予兆・母の話
  • 第3章 予兆・父の話
  • 第4章 人間まで
  • 第5章 踏み出す度に溢れ出す感情
  • 第6章 君に会えて良かった
  • 第7章 EXODUS
  • 第8章 復活への道〜IT TAKES A NATION OF MILLIONS TO HOLD US BACK
  • 最終章 夕日の眼帯
  • あとがき
  • ダースレイダーの「ごはんレスよ!!」