般若の自伝『何者でもない』を読んだ。幼少期の話。般若がユニット名だった頃の話。妄走族での人間関係。
そして、長渕剛との縁。昭和レコードの立ち上げ。フリースタイル・ダンジョンのラスボス。これらが1本の線で紡がれていく。
生い立ち、境遇などで屈折していた幼少期から青年期。その「ゆがみ」を、アーティストとしての精神性を磨きながら「自然な形」へと昇華させていく。そんな物語だった。
ひとつの物事を続けるのには覚悟がいる
現実が理想を食い荒らすスピードは速い。初めは真っ直ぐだった「夢への道」は、ちょっと進んだら曲がり角だらけになる。引くに引けずに走り続けた先で待っているのは、潰しのきかない年齢になった自分だったりする。
『何者でもない』般若
多くのライバルがいて、競争しているうちはまだいい。競争相手がいれば、刺激を受けるし、相手に負けじと頑張れるからだ。彼らとの切磋琢磨や、すったもんだは、「ひとりじゃない」と思える心強さと安心感をもたらす。
つらいのは、みんながゲームから降りてしまったときだ。ひとり、またひとりと、見つけた別の新たな道へと旅立っていく。自分だけがとり残されたような感覚。半信半疑で続けることによる葛藤やジレンマ。ほんとうにこの道で正しいのか。そんな不安がつのっていく。
だが、どうあっても、いまやっていることが正解かどうかを、いま知ることはできない。正解かどうかを知るためには、信じて続けるしかない。「こたえ」を知りたいなら、どんなに状況が変わろうとも、やめてはいけないのだ。
軽い気持ちでゲームに参加しても、飽きてやめるのがオチである。人生を賭けれるぐらい「好き」な気持ちがないと続けられるものではない。続けられなければ、何者にもなれない。
やめたら「勝者」にも「敗者」にもなれない。とうぜん「成功」も「失敗」もない。ゆるやかな「老い」が待っているだけだ。
世界は視野と同義
狭い世界に生きていても、新しい世界を見ることで視野は広がっていく。「世界」とは、つまり「視野」と同義なのだ。
いったん上昇してみて、俯瞰(ふかん)で世界を見下ろす経験をすると、「狭い世界のなかで、利権に執着することのアホらしさ」に気がつく。
世界を広げる方法はひとつしかない。執着を捨てて、自分のマップをどんどん拡張することである。
まだ知らない分野に興味をもってみたり、未知の価値観を、肯定的にとらえてみる。勉強して、「知らない」を「知っている」に変えていく。それだけで、思考の幅が広がる。
あの頃、剛さんは俺を色々な現場に連れていってくれた。そうすることで、俺の世界を広げようとしてくれていたんだと思う。そして、ミュージシャンとして生きるということがどういうことかを教えてくれようとしていたんだと思う。
『何者でもない』般若
般若の場合は、長渕剛との出会いによって、自力ではたどり着けなかったはずの景色にアクセスできた。劇的に視野が広がったに違いない。
成熟してきたアーティストとしてのマインド
愛してるヒップホップだからこそ、その世界から飛び出さなきゃダメだと思った。狭い世界の外側で俺のヒップホップをやってやると思った。
『何者でもない』般若
アングラもメジャーも「自分の曲を届ける」ってことに変わりはない。MCバトルも音源も「聴いてくれた人の心を揺さぶる」ってことでは同じはずだ。二極化して世界を狭めるなんてくだらない。アングラだけがカッコいいわけでも、売れたらセルアウトってわけでもない。
『何者でもない』般若
狭い視点に執着していると、自分の縄張りを必死に守ろうとしてしまう。結果、同じような他者と争いが起こる。
本質に近づいていくほど、考え方はシンプルになっていくものだ。般若にはヒップホップという言葉に執着せず、抽象度の高い回答を提示している。
身に起こる様々な諸問題を、自分の頭で考え続け、悩み、それでも進んでいく。そうやって人生を乗り越えてきた般若の軌跡から学べることは多かった。
参考書籍
目次『何者でもない』
- プロローグ
- #1 vs 生い立ち
- #2 vs 未知
- #3 vs 無名
- #4 vs 金
- #5 vs 夢と現実
- #6 vs 孤独
- #7 vs with
- エピローグ