ヒップホップ業界において、「Thug(サグ)」という言葉がよく「売れた」時代があった。いわゆる、「ハードコア・ヒップホップ」とか、「ギャングスタ・ヒップホップ」といった分野である。
マッチョであるほど売れたヒップホップ
マッチョイズムが色濃く残るヒップホップの世界において、強い者が覇権を握る。そんな風潮があった。その表現として、「筋肉」という要素を用いるのは常套手段である。(エントリー「ヒップホップはマッチョイズム。最速で腹筋を割る方法」参照)
ほかには、自分のサイズよりもかなり大きめの服を着る、身体にいかついタトゥーを入れる、ぶっといネックレスや、カザールのサングラスをかける。これらも、「マッチョ」を表現する方法論のひとつである。
このような、外的装飾によって「マッチョ」を表現しているぶんには、エンターテイメントとして成立してると言える。ところが、次第に表現はエスカレートしていく。
ギャングもヒップホップに参入
「ギャング」というのは、日本でいう、「やくざ」のようなものだ。金儲けが最優先事項。稼ぐためなら、倫理的な制約は一切なく、何でもやる。たとえば、学生でも手を染めやすい、「麻薬の売人」なども、その元締めにはギャングが奥に構えている。
このように、ブラック・マーケットで商売することを「ハスリング(hustling)」という。ストリートでハスリングして大金をつかむ。とくに、貧困層の地域において、一攫千金を狙ってハスリングする若者も多い。
まじめに生活するよりも、簡単に大金を手に入れることができるのは事実。その反面、見返り以上にリスクが高い仕事でもある。取引がもつれて殺されたり、儲かりすぎたのが目立って殺されたりと、よくよく考えると割に合わない。
そこで彼らは、このような「ギャングの私生活」をラップで表現した。ラップは対外的に直接危害を加えるようなものではない。死のリスクはかなり低減する。しかも、ギャングの要素は、ヒップホップの特性である「マッチョイズム」との相性がいい。実際、多くのレコードを売ることに成功した。
マッチョとギャングの要素を兼ね備えたヒップホップ
ギャングの要素を取り入れた「ギャングスタ・ヒップホップ」は、儲かる。これが知れ渡ると、ギャングでもないのに、自分がギャングであるかのように見せ、過激な内容をラップするMCが大量発生する。
このように、ギャングスタ・ヒップホップの流れに乗っかったMCたちは、ある程度の小金を稼ぐことに成功した。ただし、実際のギャングではない人間が、ギャングだと自称するリスクは高い。
客に「ニセモノ」扱いされて、非難されればビジネスを継続するのは困難になるし、ちょっと売れて、有名になると、本職のギャングに目を着けられてしまい、売上の大半を奪われるばかりか、命の危険にさらされるというリスクもある。
2Pac(トゥパック)が提唱したThug Life(サグ・ライフ)
カリフォルニアのMC、2Pac(トゥパック)は、強姦容疑で収監された過去がある。彼には、ギャングスタ・ラップで大儲けできる素質があった。それを知っていた、Suge Knight(シュグ・ナイト)は、多額の保釈金を支払って2Pac(トゥパック)を釈放する。
保釈金という名の投資を無駄にせず、しっかりとリターンを得るために、2Pac(トゥパック)を「ギャングスタ・ヒップホップ」のカリスマへとプロデュースしたのであった。やがて、2Pac(トゥパック)は自分の生き方を「Thug Life(サグ・ライフ)」と主張することになる。
我々には、あまり耳に慣れない「Thug(サグ)」という言葉。直訳すると、「チンピラ」「やくざ」「悪党」「凶漢」「殺し屋」「暴漢」「暴力団」「凶悪犯」などという意味がある。単純に総合すれば、「物騒な人」ということ。
自分のお腹に、大きく彫られた「THUG LIFE」という文字が示すとおり、2Pac(トゥパック)は「やくざ」な道を選択したのだった。これが、エンターテイメントだったのか。真相はわからないが、現役のギャングを含む、多くのファンを獲得し、レコードが売れたのは事実である。
●Thug Passion [Feat. Dramarydal, Jewell, Outlawz & Storm] / 2Pac
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=mcjL8w7p1Xc[/youtube]
Thug(サグ)の進化形はSuper Thug(スーパー・サグ)
「Thug(サグ)」を提唱する物騒な人のレコードが売れる。ならば、「俺は、そいつらを超えた、Super Thug(スーパー・サグ)だ!」。ということで、Noreaga(ノリエガ)がリリースしたシングルが「Superthug」。
●Super Thug (What What) / Noreaga
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=TWLMrUcMZuo[/youtube]
1998年にリリースされたシングル。「ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワワッ」というシンプルなサビが奏功して、大ヒットした。この楽曲をプロデュースしたのが、The Neptunes(ザ・ネプチューンズ)。Pharrell Williams(ファレル・ウィリアムズ)と、Chad Hugo(チャド・ヒューゴ)によるプロデューサー・ユニットだ。
その後、彼らによる楽曲が、ヒップホップのトレンドのひとつとなった。
Thug(サグ)の功罪
ヒップホップ音楽における「マッチョイズム」というのは、いわば、「肉食系男子」というニュアンスに近いのかも知れない。そして「肉食系」という言葉に内包されている、「男らしさ」「強さ」「たくましさ」などの要素を複合して、ブラッシュ・アップさせていくと、「不良」とか「ワル」という記号に収れんされるのだろう。
そして、不良の「かっこよさ」を突き詰めていけば、おのずと人の道を外れた「チンピラ」になってしまうのだ。少年たちは、刺激的な生活で「富」と「名声」を得ることができる、と錯覚してしまう。その結果、少年犯罪とともに、ギャングの予備軍が増加する。
刺激的な音楽は、ビジネスになる反面、反社会的な副産物を生んでしまう。1996年に、Thug(サグ)そのものを具現化したような存在であった、2Pac(トゥパック)が銃殺された。この事件を機に、ハードコア・ヒップホップの市場が徐々に衰退していったようだ。
現在でも、ハードコア・ヒップホップは存在するだろうが、少数派だろう。Thug(サグ)需要は、1990年代の特需として、たまに懐古して楽しむぐらいがいい。