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エッセイ

デジタルリマスターされた映画『Style Wars』を劇場で鑑賞した

この映画『Style Wars』は、1983年に製作。ヒップホップという文化が根付いていく初期の段階を記録した貴重なドキュメンタリー・フィルム。

このたび、デジタルリマスターされた本作がスクリーンで鑑賞できるというので、劇場に足を運んだ。

ヒップホップのカルチャーを学びたいのであれば、1982年の映画『Wild Style』とともに押さえておくのがいいだろう。

舞台は1982年のニューヨーク。街を走る電車は、どれもスプレーでカラフルに装飾されている。これらはグラフィティ・アーティストたちの仕業。映画『Style Wars』では、ヒップホップ4要素のひとつ「グラフィティ」を主にあつかっている。

電車や建物など、公共物に落書きするのはもちろん犯罪である。彼らはそれを重々承知で、夜中の車庫に忍び込む。これもすべて自分の存在を認めてもらうためだ。

自分の“作品”が、走る電車とともに多くの人の目にさらされるという興奮。これが、ほかには変えがたい体験なのだろう。

彼らの目的が、「不特定多数に自分の作品を認知させること」なのだとしたら、ほかに合法的な代替手段さえあれば、犯罪者呼ばわりされなくて済んだのかもしれない。

広告効果の高い「電車」に目をつけた。そこまではいい線だった。でも広告費を踏み倒すのはよくなかった。合理的な認知度の拡大方法と、合法的なマネタイズ。この辺がグラフィティの課題となるだろう。

現代では、バンクシーが有名だ。グラフィティがなければ、その末裔であるバンクシーも誕生してないことになる。バンクシーのような、グラフィティ文化の現代版でさえ、公共物に作品を残している。「広告費踏み倒しグセ」が継承されているのだ。

これはグラフィティの特性なのか。そもそも、このダークサイド(広告費の踏み倒し)があってこそグラフィティたりえるのか。

自己表現と自己顕示欲。これらが臨界点を超えたときのエネルギーが、ボムる原動力であるのだとしたら、ずっと闇属性がついて回るのも納得できる。

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