このあいだ、『ビーツ、ライムズ・アンド・ライフ ~ア・トライブ・コールド・クエストの旅~』という映画を観た。
●予告編
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=BO1xTIseWFs[/youtube]
1990代のヒップホップ・シーンに多大な影響を与えたグループ、A Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)のドキュメンタリー映画である。
この映画では、要するに、メンバー間の確執(おもに、Qティップとファイフ)を描いている。
幼なじみであった2人だが、なぜ、こうも合わないのだろうか。
映画を観ていて思ったことがある。それは、2人の人間性があまりに違いすぎる、ということだ。
以下、Qティップとファイフ、2人の人間性を、かなり乱暴に解釈してみた。
※残りのメンバー(アリとジャロビ)については、ひとまず置いておく。
完璧主義のQティップ
Qティップは、つねに、「より良い音楽」の探求に余念がない。だから、ヒマさえあればレコード店でネタを探す。
ここで言うところの「より良い音楽」というものを、具体的な数字で示したり、定義することはできない。
あるのは、自分がもつパラメータ(価値基準)だけである。
それは、「自分にとってどのくらい琴線に響くのか、という度合い」と言い換えることもできるだろう。
Qティップは、体裁を気にすることなく、自分の中にある計測器にしたがって、その値の高得点(ハイスコア)を目指す。
過去の作品につけた自分の得点(スコア)を、さらに上回る(ハイスコアを出し続ける)のだ。
彼はつねに考えている。それが人生の命題なのだとも悟っている。だから、それ以外のことには目もくれないのである。
庶民派のファイフ
一方のファイフは、なんとなく友人(Qティップ)とヒップホップを始めてみた、というような印象を受けた。
彼の場合は、生活の中に「ヒップホップ」という要素が入っている。
つまり、「食べる」とか、「寝る」、「バスケをする」と同じように、「ヒップホップをやる」も、「生活」の中に入っている子要素として存在しているのだ。
時間に置き換えてもいい。
仮に、生活の時間を1日(24時間)としよう。その中に、食べる時間、寝る時間、バスケをする時間、ヒップホップをやる時間などが収まっている、というわけだ。
要は、ヒップホップを「仕事的」にとらえているのである。
極端なことを言えば、生活(お金)のためにヒップホップをやっていると言い換えてもいいだろう。
両者間のギャップによる関係の破たん
ところが、Qティップはそう考えない。「生活」は「ヒップホップ」そのものであり、あらゆる行動が、「より良い作品」を生むための糧となる。
Qティップとファイフ。どちらの考え方も正しい。問題なのは、「2人の考え方が根本的に違う」ということである。
お互いに、根本的な価値観の相違点を理解し合わないかぎり、良好な関係を維持していくのはむずかしい。
それを無視し続けてグループを延命していても、関係が破たんするのは、時間の問題であり、必然であった。
以下では、映画を観て感じた2人の気持ちを、勝手に代弁してみた。お互いに自分の考え方から抜け出すことをしていないのがわかるだろう。
ファイフの気持ち
おれの横にいるQティップは天才だ。こいつにはヒップホップで勝てる気がしない。
でもおれは、うまくヒップホップをやって、金を得ることはできる。
このままこのグループ(ア・トライブ・コールド・クエスト)を続けていけば、食いっぱぐれることもないだろう。
もともと、幼なじみだった俺たち。立場は対等なはずだった。
それなのに最近は、Qティップからのダメ出しや、指示が多くなってきた。いったい何様なんだ?
持病(糖尿病)のせいで、満足のいくステージングができないことだってあるし、ヒップホップ以外のことにだって興味があるんだ。
だからって、勝手に解散するなんて、ひどいじゃないか。正直に「ソロやりたい」って相談してくれてもいいだろう。
俺の気持ちもわかってくれよ!
Qティップの気持ち
おれたちの音楽は、世界に影響を与える力をもっている。みんなで上を目指そう。
指示を出したりするのは、リーダーシップからじゃない。そのやり方だと、ハイスコアが出ないからなんだ。
みんなが一致団結して、協力しながらでないと、このステージをクリアすることはできない。
ファイフは生活に雑音が多いんじゃないのか。せめて、もう少し生活にヒップホップの純度を上げてほしいもんだ。
力を合わせて戦うことができなければ、ハイスコアは出ない。だったら、グループを解散して当然だろ?
お互い、ソロになったってヒップホップを続けることはできるんだからさ。
そもそも文句があるなら、ハイスコアを出すために、365日ヒップホップのことを考えて、おれに提案してくれ。
当たり前のことだろ?
両方の理論を理解する
感情にまかせて行動を起こすと、合理性を欠く。しかし、合理的に考えすぎると、冷徹な人間に見られる。
どちらにポジションをとっても正解であるが、両方の理論を理解する必要はある。
つまり、「共感はしなくてもいいが、理解は示す」ということだ。
自分の理論にだれもが共感してくれると錯覚してはいけない。
まずは相手の考え方に対して理解を示す。これが共同体を維持するための秘訣である。
参考作品
ビーツ、ライムズ・アンド・ライフ ~ア・トライブ・コールド・クエストの旅~ [DVD] (2013/04/05) ア・トライブ・コールド・クエスト、コモン 他 |