ペンと紙があればリリック(歌詞)が書ける。リリックが書ければラッパーになれる。もっとも小額の投資でヒップホップに携われるのがラッパーのいいところだ。
ヒップホップに魅せられた者たちは、作品を聴いてばかりでなく、自分も表現する側に回りたいと、いてもたってもいられずに行動を開始する。
この衝動は、内から湧き出てくるものであり、お金を目的としたものではない。ただ、うまいこと言いたい。ただ、かっこいいラップがしたい。そんなシンプルな動機でラップをはじめられるのが「自称ラッパー」のいいところだ。
しかし、今なら、スマホが1台あれば、リリックが書けるばかりか、ビートだってつくれる時代になった。参入障壁が低いと、競争率が高くなる。
競争率が高くなると、個性の無い者から淘汰されていく。うまくできても個性が無ければ生き残れないのがこの業界。かつてラッパーを自称していた者たちのほどんどは、日の目を見ることなくマイクを置いて、別の何かをしているのだ。
高い競争率を勝ち残った生き証人の弁
●I REP / Dabo, Anarchy & Kreva (2010年)
[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=r-YWnGwtRZo[/youtube]
2010年にもなると、日本のヒップホップはとくに真新しいものではなくなっていた。2002年には、Kick The Can Crew(キック・ザ・カン・クルー)が紅白出場を果たし、日本語ラップの時代の到来を予感させた。
しかし、そのころをピークにゆっくりと市場規模は縮小した。
デジタル・コンテンツの違法ダウンロードなどが、音楽市場そのものを縮小させたという背景も関係しているだろう。ただ、どんな理由であれ、日本のヒップホップはゆっくりと衰退していったのは事実である。
Dabo(ダボ)、Anarchy(アナーキー)、Kreva(クレバ)は、まだやっている。彼らにとってラップは、最適な自己表現の手法であり、それを続けることにこそ意味があると信じている。
やりたいから、今もやってる。とてもシンプルで明快だ。しかし、やりたいことを好きなだけやりつづけられる環境を構築するには勇気が必要である。
なぜなら「自由」には保険が適用されないからだ。
己の内なる衝動を信じてやり続けること。それは、自由であるがゆえに、責任をぜんぶ自分で引き受けることを意味する。
成功するか失敗するかはすべて自分次第。己の行動にかかっているのだ。
人生を賭ける、というのはこういうことを言うのだろう。誰かに守られていたり、誰かを守るため、という理由で安全な場所にいては、彼らのフィールドにたどり着くことはできない。
Dabo(ダボ)、Anarchy(アナーキー)、Kreva(クレバ)や、ほかのプレーヤーは、それを承知で、自由な自己表現の場を構築しているのだ。
収録作品
HI-FIVE (2010/11/03) DABO |