カテゴリー
映画作品

人はサウダーヂにすがって生きずにはいられない

2011年に公開された映画「サウダーヂ」。富田克也(トミタカツヤ)監督作品。「地球の裏側まで掘りまくれし!土方、移民、HIPHOP、地方都市・甲府の真実とは!?」というテーマを映像化している。

土方作業員の堀精司と、HIPHOPグループ「アーミービレッジ」で活動しているラッパーの天野猛。この2人が比較的メインで描かれているが、グランドホテル方式(群像劇)という性質上、誰が主人公という感じではない。

タイトルのSaudade(サウダーヂ)とは、「郷愁」「憧憬」「思慕」「切なさ」などの意味合いを持った言葉で、日本語では一言で表現することができない。とてつもなく簡単に言えば、「あこがれ」ということになるかもしれない。

あらゆる登場人物たちが何かに「あこがれ」ながら、まだ見ぬ「あこがれの地」を目指す。それは「金持ちになったら幸せになれる」とか、「新しい場所に移動すれば状況が好転する」といった妄想のようなもので、実現しても実際に幸せになれる保証はない。

映画『サウダーヂ』予告編

地方都市のリアルな実情

映画の舞台は山梨県の甲府。ただし今回の舞台がたまたま甲府だったというだけで、こういった地方都市のリアルな実情は至るところで存在していると思われる。

土方作業員とその妻。ラッパーとその仲間。出稼ぎのタイ人ホステスや日系ブラジル人。ネットワークビジネスやデリヘルで金を稼ぐチンピラなど。今を生きる彼らの生活を見ていると、どこにも保証がないということがわかる。

結局のところ何処にも「答え」なんかない。たぶん誰でもそんなことはわかっている。その身も蓋もない現実を一時的にでもいいから忘れたい。稼いだ日銭をそのまま刹那的な快楽(ギャンブル、麻薬、酒、女など)に消費するのは、現実逃避の一番簡単な方法だ。

衣食住は最低限満たされている。それでも何のドラマもない日々を延々と繰り返すのは辛いもの。刺激が欲しい。もしくは安らぎが欲しい。厳しい現実から解放されたい。誰もがそう思って生きている。

それぞれの頭の中にある理想の未来

世界はひとつではない。なぜなら人の数だけそれぞれの頭の中に世界があるからだ。みんな異なった理想の未来像(サウダーヂ)がある。自分の中の世界をより良くしようと日々生きている。

自分の中の正義、道徳、価値観、進むべき道。これらに根拠はまったくない。今はそう思っている、というだけだ。すべては頭の中の妄想に過ぎない。それでも理想の未来像(サウダーヂ)をイメージせずにいられないのは、現実に満足できず、何とか逃れたいという気持ちがあるからだ。

そして、たとえ家族や友人であっても、理想の未来像(サウダーヂ)が一致しているとは限らない。ここが違えばいずれ対立する場面もあるだろうし、その結果、袂を分かつことになっても何ら不思議はない。

ただ、サウダーヂという自分の頭の中にしかない淡い期待に囚われても、現実は決して変わらない(むしろ悪化するかもしれない)ということは自覚しておくべきだろう。理想論ばかりを掲げていても、行動が伴っていなければ「絵に描いた餅」なのである。

地に足をつけてしっかりとこの世界を生き抜くには、現実と自分から逃げず地道に行動すること。ほかに道はない。文明が発達し、利便性が高まっても、現実世界で豊かに暮らすのはなかなか難しい。それを映画「サウダーヂ」は教えてくれた。

おまけ

ところで、この映画は未だにDVD化されていない。映画「サウダーヂ」を鑑賞するには劇場に足を運ぶしかないということだ。映画は全国を巡業しながら上映を続けている。

今回は、2014年6月4日(水)にテアトル新宿で「サウダーヂ」の上映があったため運良く鑑賞することができた。しかし、富田克也(トミタカツヤ)監督の前作「国道20号線」はすでに上映を終了しているらしい。

映画『国道20号線』予告編

ソフト化もしていないようなので、鑑賞することができないのが残念だが、今後またどこかで上映することがあれば観に行きたいと思う。

関連リンク