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ヒストリー

マス対コアについての考察

日本語ラップを一般リスナーにも認知させた1994年

日本語ラップの転換期として1994年がしばしばあげられるのは、「今夜はブギー・バック」や「Da.Yo.Ne」といった全国レベルでヒットした曲が誕生したからだ。

現在のJポップで違和感なくラップパートが共存できるのも、これらの曲が市民権を得たおかげと言っても言い過ぎではないだろう。日本語ラップの存在すら知らなかった全国の一般リスナーたちに、日本語ラップを認知させたという功績はそれほどに大きい。

今夜はブギー・バック (smooth rap) [Feat. 小沢健二] / スチャダラパー

Da.Yo.Ne / East End×Yuri

「ジャパニーズ・ヒップホップ」と「日本語ラップ」

「今夜はブギー・バック」や「Da.Yo.Ne」とともに、日本でも少しずつ「ラップ」が認知されはじめる。ところが、昔から日本のヒップホップを盛り上げてきたアンダーグラウンドの存在は一般に知られていない。

つまり、一般の人にとっての「ラップ」とは、「Da.Yo.Ne」とほぼイコールの存在なのだ。ジャパニーズ・ヒップホップの文脈をほとんど認知されないまま、「ラップ」という言葉だけが定義づけられてしまったのである。

アンダーグラウンドからのアンサー

1995年は、ジャパニーズ・ヒップホップ作品がこれまでよりもハイペースでリリースされた年である。「今夜はブギーバック」や「Da.Yo.Ne」の全国的なヒットを受けて、「これが儲かるのか!」とトレンドに乗っかり小遣いを稼ぐ、二番煎じの劣化コピーが量産されたのも原因のひとつだ。

一方、「今夜はブギーバック」や「Da.Yo.Ne」の全国ヒットに対して、カウンター気味に「それじゃねぇ!」とツッコミを入れたのは、そのトレンド以前にヒップホップの魅力に惹かれて活動していたアーティストたちである。

彼らは、リスナーに媚びた曲をヒットさせて金儲けに走る「セルアウト(身売り)」を毛嫌いしていた。ここで日本のラップが大きく2つの道に分かれていくことになる。これがいわゆる「マス対コア」の構図である。

「マスの日本語ラップ」が多くの一般リスナーを獲得していくのに対し、「コアな日本語ラップ」はそれをニセモノとののしった。象徴的なのが以下の2曲。いずれの曲も、ニセモノに対して痛烈に批判している。

Mass Vs Core [Feat. You The Rock & Twigy] / ECD

下克上 / Lamp Eye

怒りの感情をエネルギーに変えて作品に投影しているという面では、ターゲットとなるワック(ニセモノ)の存在が、アンダーグラウンドのシーンの活性化に一役買っているという見方もできる。

そういう意味では、「メジャーでチャラいヒップホップやってんじゃねーよ!」と言われる対象(マス)もまた、彼ら(コア)にとっての必要悪という役割を立派に果たしている。

マスの目指す日本語ラップ

日本のヒップホップに「マス」と「コア」が存在するのは、社会に「一部上場企業」と「自営業」が存在するぐらい当然である。本来は両者が争う必要などなく、それぞれの方針に従っていればいい。

一部上場企業は、株主に対して四半期ごとに、利益をもたらす(あるいは、もたらすかもしれない)何らかの材料を提示して株主に利益をもたらす義務がある。

つまり「利益の追求」を前提として日本語ラップ(に限らず、音楽そのもの)を扱っているのだ。その結果、ある程度Jポップの定石(過去の成功例など)を踏襲することで、利益を担保できると考える。根拠のない冒険はできないのだ。

マスのゲームで要求されるのは継続である。時流をとらえながら最適なかたちを模索し続けること。つねに新しい魅力を取り入れてリスナーの耳を満足させないと生き残れない世界。

このステージで切磋琢磨するには膨大なコスト(クリエイティビティ)を燃やし続けなければならない。並の想像力ではすぐに枯渇してしまう。そんな環境に身を置いているからこそ、リスナーの耳を楽しませるインセンティブが働き、ブラッシュアップされた作品が生まれ続けるのだろう。

それは客に媚びているのではなく、「需要を創造している」と言ったほうが適切かもしれない。

アンダーグラウンドとは何だったのか

アンダーグラウンドには、メジャーの日本語ラップとは違う「正解」がある。一般のリスナーたちに日本語ラップを勘違いされたくない。そんな気持ちが多少なりともあったはずだ。

コマーシャル・ラップを批判するような作品が後を絶たないのも、日本のヒップホップを誤解して欲しくないという気持ちの表れでもある。

だがアンダーグラウンドが今後も、一般に理解されることはないだろう。そこは閉じた世界であり。一般から隔絶されたフィールドでしのぎを削るゲームだからだ。

それがわかると、アングラから出て大衆相手にターゲットを切り替えることになる。最終的には自分が持つ「日本のヒップホップ」を体現して、提示することに変わりはない。広げていくことに関しては、マスの力を借りた方がスムーズに進むこともあるのだ。

おまけ

「Da.Yo.Ne」のヒット以前に、Microphone Pager(マイクロフォン・ペイジャー)は「日本語ラップ改正開始」を高らかに宣言していた。

1993年にリリースされたMuro(ムロ)のソロ作品。オリジナリティのないラッパーへの痛烈dis曲。さすが、問題提起が早い。

Don’t Forget To My Men / Muro