ヒップホップの世界では、アーティスト自らの楽曲を武器にたたかう「ビーフ」という文化がある。
これは、クラブなどで行なわれるラップバトル(MCバトル)とは異なる。
ラップバトルとは、1対1で向かい合って、交互に即興ラップを披露し合うことだ。
より表現力豊かに相手を馬鹿にして、オーディエンスを盛り上げるかが勝利の鍵となる。
客の目の前でパフォーマンスを行なう「ライブ」という性質をもつラップバトルは、客の反応ですぐに勝敗が決まる。
ところがビーフの場合は、目の前の敵に対してラップするのではなく、レコーディングした楽曲で勝負するため、勝敗が確定するまでに時間がかかる。
ビーフの流れ
まず、相手が自分を口撃(ディス)した内容を含んだ楽曲(ディス曲)が発表される。
その楽曲の存在を、人づてに聞くか、自分で「これ、俺のことか?」と、ディスられた本人が「認知」する。
そして、その楽曲に対する「反撃(アンサー)曲」をレコーディング。すぐに楽曲をリスナーの耳に届ける。
これが、ビーフが開始されるまでの流れだ。
反撃された相手は、さらにアンサーを返す。あとは、これの繰り返し。
アンサーを制作するスピードが遅いと、リスナーは飽きてしまうので、時間がかかる正規流通でのリリースは避けて、とっとと音源をつくってバラまく。
大量のレコードをプレスせずに、少量のプロモ盤(広告用のレコード)をプレス。すぐにDJなどに渡して音源を拡散してもらう。
基本的には、ラジオで流してもらったり、自主製作のミックステープ(ミックスCD)などで流通させる。
これがビーフの基本的な流れだ。
難点は、楽曲をつくったアーティストが、直接リスナーの顔(反応)を見れないということ。
勝敗は、周囲からのうわさやネットの反応などで知ることになるため、決着があいまいになることもある。
そして何より、時間がかかる。これが、この戦いの特徴だ。
やられたら、やりかえす
相手のディス曲に対しては、それ以上のアンサーで返す。これはルールである。
プレイヤーは、これがゲームだということを理解していなければならない。
逆上して、仲間を連れて相手の家を襲撃するのは「ルール違反」。もはや、ビーフの域を出てしまうため、反則負けとなる。
これは「エンターテイメント」なのだ。
リスナーは、次に相手がどんな曲で返してくるのかを期待し、どちらが優れたラッパーなのかを判断する。
その勝敗は、風評によって決められる。
つまり、今後のアーティストとしての評価がかかっているのだ。だから相手にやられたら、即座にやり返す。
あまり時間をかけすぎると、「これだけ待たせて、こんなもんか」などと、評価を下げられてしまうからだ。
とはいえ、スピードを求めると、クオリティを担保できない場合もある。
しかも、既成の楽曲にそのままラップを乗せることも多く、著作権の問題をクリアしていない楽曲も少なくない。
ビーフに使用された曲がオリジナル・アルバムに収録されにくいのにも、そういった背景があるのかもしれない。
ビーフを仕掛けて成功した事例
2002年ごろに繰り広げた、Jay-Z(ジェイ・ジー)と、Nas(ナズ)のビーフは、成功例と言える。
双方にうま味があり、「話題づくり」という意味では、ビーフがしっかりと機能していた。
このプロモ盤12インチのリリース合戦は、「【beef】Nas(ナス)とJay-Z(ジェイ・ジー)のビーフのまとめ」で詳しく書いたので、参照してほしい。
通常盤ではなく、キラーカットからのブート(海賊盤)で楽曲を発表するところに、「音質よりもスピード」を意識しているのがわかる。(ブートは基本、音質がよくない)
既成のトラックをつかうと著作権もグレーなので、メジャー流通させづらいという事情もある。
この「一般には流通していないレコード」は、渋谷のマンハッタン・レコードや、DMR(ダンス・ミュージック・レコード)などで、偶然手に入る場合もあるが、通常は手に入らない。
過激な中傷を含んだ、「Stillmatic Freestyle (H to the Omo)」や、「Supa Ugly」などといった楽曲は、彼らの正規のアルバムに未収録だ。
こういった楽曲は、たまたまクラブで流れるか、そのときに発売したミックステープ(ミックスCD)などで耳にするしか方法がない。
そんな、「その時にしか聴けない」という感じが、臨場感を生む。この「期間限定の祭り感」が、ビーフの醍醐味なのである。
バーチャル世界で繰り広げられたビーフ
そして時は経ち、とうとう「サイバー・ビーフ」が勃発する。
インターネット上でビーフが繰り広げられたのだ。しかも舞台は、2004年の日本だ。
ネットの海から突如発生したそれは、「Ultimate Love Song」という曲だった。
インターネット掲示板では、ラップしているのがDev Large(デヴ・ラージ)ではないか、という議論がなされた。
数日後、Dev Large(デヴ・ラージ)本人だったことが証明され、氏が、K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)を名指しでこき下ろしたことが判明した。
長年蓄積していた怒りが噴出したのだという。
Jポップからは遠くかけ離れた、誹謗中傷のオンパレード。
ビーフのルールを知らない人がこんな曲を聴いたら、たいへんなショックを受けるに違いない。
この曲の存在を知ったK Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)は、すかさず反撃に出る。
Gユニットのトラックにラップを乗せた「1 Three Some」というアンサーをネット上で配信。
すると、Dev Large(デヴ・ラージ)もすぐにアンサーのアンサーを返した。
このビーフは、ネット発のはじめてのビーフであり、かなりの反響を呼んだ。(詳細は、「日本初!インターネット上で繰り広げられたビーフ」を参照)
ビーフの役割
ビーフの有意性はどこにあるのか。
わざわざビーフを勃発させて、ののしり合うには、何らかの理由があるはずだ。
単にムカついたから。
たしかに、ヒップホップの世界では、大いにあり得る。
たとえ、きっかけがそうだったとしても、ビーフがエンターテイメントである以上、リスナーを熱狂させるための起爆剤と考えるのが妥当だ。
つまり、「プロモーション」である。
白熱した試合を観戦したあとは、プレイヤー(選手)に興味が湧くというもの。
自分自身のメンツを賭けた戦いで、敗北を喫することは、プライドが許されないかもしれないが、リスナーに自分の存在を認知させるこが目的であれば、その勝敗にかかわらず、目的は達成したことになる。
商魂たくましいJay-Z(ジェイ・ジー)の立ち振るまいが、それを物語っている。
ただし、Dev Large(デヴ・ラージ)に関しては、プロモーション抜きにしてムカついてたようにも見える。
たぶん彼は、アツい男だ。
参考作品
ビーフ [DVD] (2005/02/25) オムニバス |