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エッセイ

音楽とタイムスリップの話

当サイトは昔のヒップホップをメインに紹介している。特にストライクなのは1990年代で、今でも当時の曲を聴くと心がおどる。音楽にヤラれてどっぷりハマった人間なら誰でも、それぞれが思う「当時の曲」を聴けば、一瞬で現実世界から音楽の抽象的な世界へとワープする快楽を知っているはずだ。他人がどう言おうが、自分にとっての名曲、つまり「心のクラシック」は当時のあの曲だけ。なぜなら、それは自分自身のルーツであり、アイデンティティーを形成するのに必要不可欠なピース(かけら)だからだ。

どんなに時間が経って、自分のマインドが変わっても、このピース(かけら)を捨てることはできない。上にあらゆる情報や経験を積み上げて、大人の階段を登っていっても、ピース(かけら)は心の奥に存在し続けている。その証拠に、「当時の曲」が再生されると、埋もれていたはずのピース(かけら)が反応を示し、即座に当時のヴァイブスを再生される。つくづく人間の脳内は、時間と空間を超越していると思う。おそらく音楽には、「当時」へ向かうためのトリガー(引き金)の役割があるのだと思う。その銃声に反応するのがピース(かけら)である。

要するに、思い入れがあったり、熱中したことは、セーブポイントみたいにピンが立てられている。ある特定の音楽を聴くとか、きっかけさえあれば、すぐに「当時」に瞬間移動できるのである。とうぜん物理的に瞬間移動できるわけではなく、これは脳内にかぎっての話だ。

ヒップホップで言えば、いつからか、シーンとの距離が離れていくような自覚があった。熱量の問題なのかもしれない。上述したように、1990年代のヒップホップにヤラれてヒップホップの世界に入り込んだ身である。ヒップホップがどんどん進化していって、デジタル化、商業化、音楽性の多様化にもまれて、「当時」のものとはまったく異質のものに感じてしまった。その結果、気づけば熱量を失っていた。

だから、2010年代以降に隆盛したトラップ・ビートもあまり響かなかったし、このビートに乗せるフロウも似たり寄ったりで、違いもそんなに楽しめなかった。ただし音楽性を否定するつもりはない。単純に、筆者には楽しみ切るためのピースが足りなかっただけのことである。当然この時期にヒップホップが刺さったヘッズであれば、かけがえのない曲はいくらでもあるのだろう。これは立ち位置の問題であり、どの時代をレペゼンする人間なのかを表明しているに過ぎない。

各々のアイデンティティーを死守するための「スタイル戦争」をするつもりはない。むしろお互いに認め合って、共感していくことがお互いの成長を育むと信じている。自分は、自分の持っているバック・グラウンドを、いろんな世代に理解してもらえるように、「汎用化」した情報として発信していきたいと考えている。とうぜん自分もあらゆる世代の価値観を理解し、共感していきたい。