ヒップホップで金儲け
彼らがEPMD(イー・ピー・エム・ディー)というヒップホップ・グループを結成したのは、単純に「お金を稼ぎたい」という理由だった。
Erick Sermon(エリック・サーモン)と、Parish Smith(パリッシュ・スミス)の2人のことである。
エリック(E)とパリッシュ(P)が、ドルを稼ぐ。これを翻訳すると、「Erick Parrish Making Dollars」。頭文字をとって、EPMD(イー・ピー・エム・ディー)。
この実にシンプルな動機で結成されたグループは、1988年のファースト・アルバム「Strictly Business」を皮切りに、とにかくタイトルに「ビジネス」が入ったアルバムをリリースしていった。
ファンクをサンプル素材としたサウンドの上で、決して熱くならず、淡々とラップするのが彼らのスタイル。
当時隆盛していた、Juice Crew(ジュース・クルー)のアーティストたちとは、明らかに毛色の違うスタイルであった。
●So Whatcha Sayin’ / EPMD
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=Z4HJ-xvmSyo[/youtube]
EPMDと仲間たち:Hit Squad(ヒット・スクワッド)の結成
シングル曲がヒットを量産している頃には、EPMD(イー・ピー・エム・ディー)のもとに多くのヒップホップ・アーティストたちが集結していた。
EPMD(イー・ピー・エム・ディー)は、その仲間たちとともに、Hit Squad(ヒット・スクワッド)というクルーを結成する。
クルーというのは、アーティスト個人や、グループなどが複数集まってできた集団のことで、A.T.C.Q.(ア・トライブ・コールド・クエスト)やJungle Brothers(ジャングル・ブラザーズ)らが集結したNative Tongue(ネイティブ・タン)のようなものである。
Hit Squad(ヒット・スクワッド)のメンバーは、EPMD(イー・ピー・エム・ディー)を筆頭に、DJ Scratch(DJスクラッチ)、Redman(レッドマン)、Das EFX(ダス・エフェックス)、K-Solo(ケイ・ソロ)、Keith Murray(キース・マーリー)などが名を連ねている。
Hit Squad(ヒット・スクワッド)の精鋭がマイクリレーする、「Head Banger」が有名だろうか。この曲は、EPMD名義ではあるが、K-Solo(ケイ・ソロ)とRedman(レッドマン)による強烈なインパクトを持つラッパーが参加したパーティー・チューン。
後半に出てくるRedman(レッドマン)のラップがカッコよすぎてヤバかったのを覚えている。
●Head Banger [Feat. K-Solo & Redman] / EPMD
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=NWSxSu8FPxw[/youtube]
Hit Squad(ヒット・スクワッド)の分裂
Hit Squad(ヒット・スクワッド)としてフルメンバーで活動していた期間は、1990年から1993年ぐらいまでの3年ほどの期間である。
粒ぞろいのアーティストを擁するHit Squad(ヒット・スクワッド)であったが、些細な理由で存続の危機が訪れたのだ。
理由は明快。EPMD(イー・ピー・エム・ディー)の2人の不仲である。とくに「お金」に関するトラブルなのだそう。
クルーの中核をなす2人が不仲になってしまえば、クルー自体がギクシャクしてしまう。
ここでは、Erick Sermon(エリック・サーモン)が身を引いて、Hit Squad(ヒット・スクワッド)を去った。
そして、この時ちゃっかり、Redman(レッドマン)とKeith Murray(キース・マーリー)らも連れて行ったことも付け加えておこう。
Def Squad(デフ・スクワッド)とHit Squad(ヒット・スクワッド)の明暗
Parish Smith(パリッシュ・スミス)は、残されたメンバーでHit Squad(ヒット・スクワッド)を存続しようとした。
しかしながら、主要ラッパーが引き抜かれたクルーは戦力半減どころではなかった。地道な活動もヒット曲に恵まれず、やがて自然消滅してしまうのであった。
一方、Erick Sermon(エリック・サーモン)は、ソロ・アルバムを2枚ほどリリース(1993年と1996年)し、1996年には、Redman(レッドマン)とKeith Murray(キース・マーリー)らとともに、Def Squad(デフ・スクワッド)を結成する。
1998年に、Def Squad(デフ・スクワッド)名義で、アルバム「El Niño」をリリースした。
参考作品
Def Squad Presents (2000/06/27) Def Squad |
ビジネスの始まりと終わり
まずは、以下の表を見てほしい。
EPMDアルバム・リスト(邦タイトルは個人的な意訳)
邦題は半分ギャグだが、これはEPMDのアルバムリリースを年表にしたものである。
アルバムのリリース年を追っていくと、1992年にリリースしたアルバム「Business Never Personal」から、1997年の「Back In Business」をリリースするまでに、5年ものブランクがある。
この期間は、EPMD(イー・ピー・エム・ディー)が分裂していた時期である。結成当時から、「仲が悪い」という噂がつねに付きまとっていた。しかし、お互いに我慢の限界点に到達したのだろう。
1992年にリリースしたアルバム「Business Never Personal」の翌年となる1993年、Erick Sermon(エリック・サーモン)はソロ・アルバム「No Pressure」をリリースした。
一方、Parish Smith(パリッシュ・スミス)は、PMD(ピー・エム・ディー)名義で1994年にアルバム「Shade Business」をリリースしている。
ちなみに、PMD(ピー・エム・ディー)というのは、その名の通り、EPMD(イー・ピー・エム・ディー)から、「E(=エリック)」が抜けてしまった、という意味である。
●Rugged-N-Raw [Feat. Das EFX] / PMD
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=zOyk8uxQaI4[/youtube]
ファースト・アルバム「Shade Business」のセールス不振が原因で、RCAレーベルを解除されたPMD。自主盤でシングル「Rugged-N-Raw」を切ることになった。
しかし、この曲がきっかけで、Relativityと契約。セカンド・アルバム「Business Is Business」をリリースしている。
EPMD分裂中(1992年~1997年)の作品一覧
Erick Sermon | 1993年 | No Pressure | |
PMD | 1994年 | Shade Business | |
Erick Sermon | 1995年 | Double Or Nothing | |
PMD | 1996年 | Business Is Business |
EPMDの再結成
エリックとパリッシュの確執から4年が経過した1997年。彼らはみごとに「職場復帰」を果たした。
5作目となるアルバム「Back In Business」をリリースしたのだ。
参考作品
Back in Business (1997/09/23) Epmd |
Erick Sermon(エリック・サーモン)が大半の楽曲を手がけたこのアルバムは紛れもなく「EPMD」のそれであった。
しかし、復活劇も長くは続かず、1999年にリリースされた6作目「Out Of Business」で、やむなく「廃業」となる。
「金の切れ目は、縁の切れ目」
ヒップホップの世界では、メンバー間による金銭がらみのトラブルが絶えない。これもまた、ヒップホップ文化のひとつである。
人間ドラマの愛憎劇も「込み」でヒップホップを聴くと、より楽しめるはずだ。
おまけ
2008年の暮れに、最新アルバム「俺たちはビジネスそのもの (We Mean Business)」をリリースしている。
これまでの愛憎劇を経て、事の顛末を見届けたあとに聴くことをオススメする。
参考作品
We Mean Business (2008/12/09) Epmd |