タイトルが「ヒップホップ・ジャパン」というぐらいだから、日本のヒップホップの歴史などをまとめた本なのかと思ったが、そうではなかった。
その内容は、筆者が気にとめた4人のアーティストを取材して、心に刺さる言葉(リリック)がどのように生まれたのかを探るというもの。
本の発売が2003年。なので10年以上も前のインタビューが記されていることになる。しかしここで語られている本質的なリリック哲学は、時間経過によって色あせるようなものではない。
個人を特定たらしめる人間の本質、いわゆる「根っこ」の部分はほとんど不変であり、それは時を経た現在の活動にもしっかりと反映されているからだ。
「ヒップホップ・ジャパン」収録アーティストについて
本書に収録されているアーティストは4人。ラッパーのECD、Nipps(ニップス)、Shing02(シンゴツー)。そしてロックバンドNUMBER GIRL(ナンバー・ガール)(現在はZAZEN BOYS)のボーカル向井秀徳(ムカイ・シュウトク)。
このラインナップを見たとき、「ヒップホップの本なのに、どうしてロックバンドのボーカルがいるの?」と違和感を感じた。しかしこの本自体が、筆者である陣野氏の琴線を明確にするための「作業プロセスの一環」なのだと推察してみたら、さほど違和感はなくなった。
筆者はバンドJAGATARA(じゃがたら)のボーカル、江戸アケミの詩世界を解明しようとしていたら、その先に辿りついたのが上記の4人だったというわけだ。
というわけで、それぞれのアーティストの感想を述べておこう。
ECD
ECDはどこか少数派のコミュニティを好む傾向があるようだ。当初から「ヒップホップやってるヤツはみんな仲間」みたいなヒップホップ・ネイション思想にも懐疑的だったという。「ヒップホップは好きだが、馴れ合いは好まない」「勝手にやるから構わないでほしい」。極端にいえばそういうことなのだろう。
基本的には、自分の頭の中にしか存在しない「ヒップホップ世界」を、楽曲という形で表現するのが目的である。少なくともカネのためにヒップホップをやっているようには見えない。他人の目を気にせず、自分が作りたいものを作る。「大衆の耳」を基準にして音楽をつくって、それが大ヒットを飛ばしたとしても、そんなのぜんぜん意味がない。そう感じているのかもしれない。
だから2000年以降に日本でヒップホップがブレイクしても、金儲けに走らなかった。「アルコール依存」「コピー・コントロールCD問題」など色々あったようだが、いまでも(2015年現在)現役のラッパーとして活動を続けているのはすごいことだと思う。
余談
本書では、ECDの父親について、「まじめに働いてきたのに最終的には家すら残せなかった」というようなエピソードを披露している。この父を教訓にして、「だったら好きなことをして生きたほうがいい」と思ったらしい。これについては、まったくもって同感だ。
Nipps(ニップス)
元Buddha Brand(ブッダ・ブランド)のNipps(ニップス)は、ラップの「聞こえ」のカッコよさを極限まで昇華させたようなラッパーだ。この「ビートにぺったりと張り付いたような独特の響き」は彼にしかできない芸当と言えるだろう。
その理由は天性の声質もあるのだろうが、それだけではない。なんと彼はふつうのラッパーがリリックに込めたがるはずのメッセージやライム(韻)を意識していないと言うのだ。
「俺の場合、人に訴えたいこととかないんですよ。こうだああだ、とか言い切ったり、決めつけたりしないから。俺は。自分の中のことについては言い切っちゃうけど、あんまり世の中のこととか、そういうのに対してあんまり興味ないっていうか。それに対してどうのこうの言う立場でもないし。なんつったらいいのかな、あんまりないんですよ、そういう意識が。反戦ラップを書いてやろうとか、ましてそれに詳しいわけでもないし。そういうものに手を出そうとはあまり思わないですね」
要するに、社会問題とか世の中で起こっていることに関心がないのだ。Nipps(ニップス)にとってラップとは、自分の中から出てくる純粋な「音」を単に出力するための道具に過ぎないのだ。
だから眉間にシワを寄せて固っ苦しいメッセージを吐かなくてもいいし、「ヒップホップ・シーンをもっとデカくしよう!」と必死になって訴えることもない。
同じBuddha Brand(ブッダ・ブランド)というグループにいながら、エネルギッシュに日本のヒップホップを牽引していこうとしていた当時のDev Large(デヴ・ラージ)とは、ほんとに真逆の考えである。これでは(グループが)続かないのも無理はない、と思った。
余談
Buddha Brand(ブッダ・ブランド)の代表曲「人間発電所」や「ブッダの休日」のリリックをNipps(ニップス)本人が解説している箇所がある。たとえば「ウニMC」「マイケルマンの映画よりアツい」など。これには個人的に嬉しかった。
ただNipps(ニップス)のリリックが意味不明だという説明をするために引用された「Don’t Test Da Master」のリリック。よく見ると、Dev Large(デヴ・ラージ)のパートだったという仰天のミスには笑わせてもらった。
Shing02(シンゴツー)
個人的な印象として、Shing02(シンゴツー)はナショナリストというイメージがある。「個人」というよりも「日本国」の視点からリリックが吐き出されているように感じるからだ。
日本が直面している問題をラップで提示すれば、聴き手に問題意識を持ってもらえる。なにか考えるきっかけを与えるためのツールとしてラップを使っているというイメージ。
つねに問題意識をもち、ふだんから勤勉でなければ、インテリジェンスに富んだリリックは書けないだろう。不勉強で語彙力のないラッパーとは明らかに違うのである。
Shing02(シンゴツー)から著者に送られた自身の歴史を説明するメールには、彼がどのような子供だったのかという話から、いかにしてヒップホップと出会い、携わってきたのかというところまでしっかりと書かれていた。
彼のルーツを知ることができるという点では、たいへん貴重な資料であり、現在とっているMCスタイルにも納得ができる。
向井秀徳(ムカイ・シュウトク)
向井秀徳(ムカイ・シュウトク)はヒップホップの世界に生きていない。なぜなら彼はヒップホップの一部(音楽性)には興味を示したが、ヒップホップ文化のすべてを受け入れることはしなかったからだ。
ダボダボの服を着て、ズボンを半分上げて、エロいおねえちゃんがいっぱい寄り集まって、ああいうのがいいなあ、と思うんですよね(笑)。じゃあ、B-Boyのカッコをするのか、といえば美的センスとして俺の中にはないわけですよね。カッコよくないわけですよ、自分がやっても、だからやらない。
外側からヒップホップという国を眺めているぶんには楽しそうだが、国民になろうとは思わない、ということなのだろう。
彼が使うヒップホップという言葉には、「ダボダボの服」「エロいおねえちゃん」などの、ステレオタイプなメタ情報が付箋のように貼られている。これらは外側から見たレッテルそのものだ。
「ヒップホップ」の一般的なイメージは、外部からの「無数のレッテル」によってできている。シーンの中にいると、なかなか気づけないところかもしれない。
まとめ
どんなリリックにも自然にアーティストの生き様が出てしまうものである。じっくりと曲を聴いていれば、解説などなくてもグルーヴを感じとることができるだろう。
リリックの裏にある真相は、本人解説なしには知りえない情報である。これを知れるのはありがたい。その反面、本人解説は、「鑑賞者による自由な解釈」を制限してしまう。
なので、まずは事前情報なしで作品を楽しむ。自分の解釈が固まったら参考程度に本人解説を見る。これがいいと思う。
Nipps(ニップス)のリリック観や、Shing02(シンゴツー)本人による生い立ちなど、知らなかったことが多かったので、個人的には価値ある1冊となった。
参考作品
目次
- はじめに
- ラップ語を発明する ECDの訛り
- 闘う相手は何処にいる? ニップス、リリックの謎
- 戦時下の手紙 シンゴ02との往復書簡
- ガーリッシュな魂 向井秀徳と「妄想都市」
- あとがき