日本初!インターネット上で繰り広げられたビーフ

2004年6月19日からはじまった、日本初のネット上で繰り広げられたビーフ。Dev Large vs K Dub Shineのまとめ。

インターネット上で勃発した日本で初めてのビーフ

2004年に勃発したDev Large(デブ・ラージ)とK Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)のビーフ。このバトルは、日本のヒップホップの歴史を知る人には有名な事件だ。

目次

登場人物

K Dub Shine
K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)
キングギドラのMC。日本語RAPのライミング(押韻)を体言止めなどを駆使して完成させた功績がある。
Dev Large
Dev Large(デブ・ラージ)
元Buddha Brand(ブッダ・ブランド)のプロデューサー兼MC。
サンプリングにこだわる黒いサウンドが特徴。

ビーフの概要

  1. Dev LargeとK Dub Shineのサイバービーフ
  2. Dev Large(と思わしき人物)によるディス曲がネット上に公開
  3. K Dub Shineインタビュー収録の雑誌「blast」が発売
  4. Dev LargeがInterFMのラジオ番組に出演
  5. K Dub Shineがアンサーをネット上に公開
  6. さらにDev Largeがアンサーを返す
  7. K Dub Shineのアルバム「理由」が発売
  8. I-DeAのアルバム「Self-Expression」が発売

Dev LargeとK Dub Shineのサイバービーフ

公式作品で堂々と個人を名指しで攻撃するというのは珍しい。2002年キングギドラが「公開処刑 [Feat. Boy-Ken]」でDragon Ash(ドラゴン・アッシュ)のkjを名指しにしていたのはセンセーショナルだった。

今回はネット公開ではじまったビーフだが、結果的に公式作品に収録されている楽曲も存在する。しっかりとアンサー(反論)曲で応酬するビーフの形は日本では初であった。

このビーフを時系列で追ってみる。

Dev Large(と思わしき人物)によるディス曲がネット上に公開

2004年6月19日。Dev Large(デブ・ラージ)と思わしき人物がインターネット上に楽曲を発表。この楽曲は、K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)への痛烈なDisソングであった。

合計9分にも及ぶこの曲(のちに「Ultimate Love Song」と名づけられる)の冒頭約3分間は、アカペラによる個人攻撃である。残りの約6分が楽曲部分で、Tha Dogg Pound(ザ・ドッグ・パウンド)の「New York, New York」のトラックをほぼそのまま使用している。

サビ部分は、Capone & Noreaga(カポーン・アンド・ノリエガ)の「L.A., L.A.」をもとにしてつくっているのだろう。この2曲(「New York, New York」と「L.A., L.A.」)は、いずれもDisソングで有名な楽曲である。

K Dub Shineインタビュー収録の雑誌「blast」が発売

2004年6月20日。ヒップホップ雑誌「blast (8月号)」が発売。この号には、K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)のアルバム「理由」の発売に関するインタビューが収録されていた。

バイリンガルMC――つまり、英語と日本語の両方をつかった歌詞でラップをするDev Large(デブ・ラージ)にとって、このインタビューは喧嘩を売っているに違いない。

おそらく、以前からK Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)に対して不満をもっていたDev Large(デブ・ラージ)。このインタビューの内容をいち早く知り、すみやかに行動に出たのだろう。

問題となる箇所を引用してみよう。以下は「日本人としての魂より なんか別のもんに憧れ そのままやっても後がねえ」という歌詞を含む「なんでそんなに」という曲について話している。

インタビュアー 伊藤(以下I)「Kダブシャイン永遠のテーマですね」

K Dub Shine(以下K)「バイリンガルでやろうとしてるヤツ、とにかく歌に何か英語のフレーズを入れりゃカッコ良いと思ってるヤツらに向かって『ダッセーなー』って言ってる」

I「”リズム&ブルースの有名なグループ 言えるんだったらまだ許す”とか好きですね」

K「『ダニー・ハザウェイ聴いてます』とかだったら『ああ、そうなんだ』ってなるけど、いきなり『ブランディ』とか言われちゃうとねー(笑)」

I「ブランディに非はないですが。ソウルといえばカニエウェストとかどうなんですか?」

K「面白いことやってると思うけど、すぐ飽きそう」

I「あの人もリリックで変なこと言ってますけど。あ、『あの人も』じゃなくて……」

K「でもアイツのスタイルとオレのスタイルは似てると思う。ゆっくり分かりやすく言ってるからね」

I「Kダブさんの中でいわゆるバイリンガル・ラッパーに例外はないんですか?」

K「うん、お前らキモイって感じ」

編集部 平沢「ひえー」

Dev LargeがInterFMのラジオ番組に出演

2004年6月22日。Dev Large(デブ・ラージ)が、InterFMのラジオ番組「Joint One Radio Show / DEN説の火曜日」に出演。上述のDisソング「Ultimate Love Song」をかけた。これで、Dev Large(デブ・ラージ)本人の曲と判明。

K Dub Shineがアンサーをネット上に公開

2004年6月29日。K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)がアンサー曲「1 Three Some」をネット上で発表。

同曲は、50Cent(フィフティ・セント)率いるG-Unit(Gユニット)というグループの「Poppin' Them Thangs」という曲のインストを使用している。

この曲は2分半ほどで終了。9分を超える大作を用意したDev Large(デブ・ラージ)からすると、かなりサクッと終わってしまう。終盤の”あいうえお作文”はおもしろい。

K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)にとっては、発売を控えた最新アルバム「理由」のプロモーションがおもな目的だったのだろう。

※のちにこの曲は、DJ Masaki(DJマサキ)の「Best Of K Dub Shine (Blendz Version)」に収録された。

さらにDev Largeがアンサーを返す

2004年7月1日。Dev Large(デブ・ラージ)がさらにアンサー曲「前略ケイダブ様」をネット上で発表。 K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)のアンサー「1 Three Some」を流しながら、その上にDev Large(デブ・ラージ)がラップを乗せている。

その後、ほんとうの「Ultimate Love Song pt.2」がはじまる。この曲は5分を超える。プロモーション代わりにアンサーを出されたのが癪だったようで、自分もI-DeA(アイデア)のアルバムを告知している。

そして、この曲に対するアンサー曲を促すが、K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)は返答しなかった。ここで、このビーフ(バトル)は収束に向かっていく。

K Dub Shineのアルバム「理由」が発売

2004年7月14日。K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)のアルバム「理由」が発売。

I-DeAのアルバム「Self-Expression」が発売

2004年8月20日。収録I-DeA(アイデア)のアルバム「Self-Expression」が発売。「Ultimate Love Song (Letter) [Feat. Monev Mils & 漢」が収録されている。

※「Ultimate Love Song」と「前略、ケイダブ様お元気ですか? Pt.2」は、のちに、刃頭のミックステープ「現場デ炸裂」に収録された。

今回のビーフについての個人的な総括

Dev Large(デブ・ラージ)がアツくなりすぎている感が否めない。はっきりとムキになっているのがわかる。一方のK Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)は、そのエネルギーをうまく利用して、新アルバムのプロモーションに成功した。

楽曲で売られた喧嘩は、すぐに楽曲で返す。これがビーフの定石である。そういった意味で、Dev Large(デブ・ラージ)が楽曲を返すスピードは驚異的であった。

しかしスピードを求めた結果、ラップのクオリティを落とす結果となった。これが、感情に任せてレコーディングしてしまうことによるリスクである。

実際、この一件のおかげで、当時ほとんど無名であったI-DeA(アイデア)のアルバム「Self-Expression」が予想以上の売上となったと予想できる。

さらに、2006年にはDev Large(デブ・ラージ)のソロアルバムがリリースされ、これもかなり売れたはずだ。つまり、今回のビーフにかかわったアーティストは全員プロモーションに成功したわけである。

個人的にはDev Large(デブ・ラージ)のつくるサウンドやラップは大好きだが、今回は必要最低限の音源で多大なプロモーションに成功したK Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)に軍配が上がるだろう。

参考作品

理由 (2004) / K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)

理由
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K Dub Shine(ケー・ダブ・シャイン)の自伝的な内容を含む楽曲が多く収録されている。ライミングに関しては何枚アルバムをリリースしてもブレがない安定のアーティストだ。
収録曲の「なんでそんなに」と「来たぜ」が今回のビーフに直接関係している。
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Self-Expression (2004) / I-DeA(アイデア)

Self-Expression
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洗練されたサウンドは、都会の無機質な冷たさをうまく表現している。降神(オリガミ)Seeda(シーダ)などの実力派MCたちが多数参加している。
アルバム全体を通して感じるシリアスなテイストは、聴けば聴くほど依存度を増す、天才プロデューサーのデビュー作品。

The Album (Admonitions) (2006) / Dev Large(デブ・ラージ)

The Album (Admonitions)
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丁寧にサンプリングされた楽曲たち。1つも捨て曲はないのだろう。ブラック・ミュージックのエッセンスがしっかりとしみこんだ、珠玉のアルバムなのは間違いないだろう。
ヒップホップの本質を、より深く理解するためには必須の一枚である。ちなみに、シークレットに「Too Many」という謎のディス曲が収録されている。意味深。
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